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Glioblastoma(膠芽腫)とGlioblastoma multiforme(多型膠芽腫)のどちらが正しい腫瘍名か?
(付記:"Glia" か "Neuroglia" か?)
   松谷 雅生
(埼玉医科大学名誉教授 五反田リハビリテーション病院)
  
 

 現在、国内外の学会発表や論文発表において両者の腫瘍名が用いられており、どちらが正式腫瘍名かとの疑問が多方面から上がっている。脳腫瘍病理学の教科書を記載した碩学の解釈も二派に別れ、"Glioblastoma" と記載しているのは、Zülch (Brain Tumors:Their Biology and Pathology, 1986, 3rd Ed)、中里洋一(アトラス脳腫瘍病理、2017)、KleihuesとLouis (WHO Classification) らである。
 一方、"Glioblastoma multiforme" は、Russell & Rubinstein (Pathology of Tumors of the Nervous System, 1977, 4th Ed.), Rubinstein (Tumors of the Central Nervous System, AFIP, 1970), Okazaki (Atlas of Neuropathology, 1988)、平野朝雄(神経病理を学ぶ人のために、1976 医学書院)らが採用している。治療を担当する脳神経外科医は後者に親和感をもつ傾向がある。その理由は、放射線治療と化学療法が期待した効果を上げないのは、本腫瘍細胞の多彩な形態が多彩な治療反応性の反映、さらに現代においては、多彩なゲノム異常の反映であろうとの推測がなされているためと考えられる。一方で "GBM" の略称が極めてインパクトに富み使いやすいことも一因であろう。
  "glioblastoma multiforme" の腫瘍名は、1929年BaileyおよびCushingにより提案されている。脳腫瘍の病理分類に関する論文/提案が多々(有名な Virchow1864, glioblastomaを提唱、など)ある中で、彼等は2000例におよぶ手術標本および剖検材料を用いて、腫瘍分類を論じる原則的な組織発生学的組織学的方法 (histogenetic-histological method)、すなわち、腫瘍細胞の由来を発生臓器における胎生期のある段階の未分化要素に求める、に従って分類した。彼等は、脳の発生段階におけるglia系細胞に分化する最初の未分化細胞を、ependymal spongioblastとbipolar spongioblast(後に、Cushing自らglioblastに変更)と規定し、後者からの腫瘍型を "glioblastoma multiforme" と命名した。彼等の分類は、多数の症例を用い、かつ病理形態学の原則に基づいた分析結果のため、他の追随を許さない支持を得て、"glioblastoma multiforme" の腫瘍名が定着した。
 この "multiforme" の形容詞付記に異議を唱えたのが所 安夫である。彼は自著(脳腫瘍、1959年)において、「元来腫瘍が異型的であることは今さら申すまでもなく、異型化はとりもなおさず多形性を結果せしめる。多形性は腫瘍的なる異常発育に当然つきまとう概念でしかありえない。---(中略)---未熟な悪性腫は、組織学的に多型的になりやすい。(原文のまま)」と記載している。所は、後年Bailey(あるいは Cushing、明記なし)が来日した際にこの疑問を質問し、Baileyはこの矛盾を認め、glioblastoma multiformeはgliosarcomaあるいはneuroectodermal sarcomaと同一のものであると回答したとのことであるが、提唱した分類を訂正したとの記録はない。
 以上の、歴史的な経緯を踏まえ、筆者の結論を述べる。
結論:現在の臨床試験や腫瘍のゲノム研究がWHO Classification に従っていることを考慮すると、Glioblastoma(膠芽腫)が適切な腫瘍名と考える。WHO Classificationにおいては、初版(1979年、Zülch編集)から第5版(2022年)まで一貫して "glioblastoma"で統一されている。また、本文中は全てfull spelling で記載されており、略称は用いられていない。なお、日本脳腫瘍学会編集の「脳腫瘍治療ガイドライン」および日本脳神経外科学会編集の "Report of Brain Tumor Registry of Japan" では、Glioblastoma(膠芽腫)が用いられている。前者では略称を用いず「膠芽腫」で統一されている。
付記:
 この際に、"Glia" か "Neuroglia" かの問題にも触れる。Glioma の分類を提唱した Virchow (1864) 以降Bailey & Cushing (1929) に至るまで、病理学者は全て"Glia"の名称を使用している。
 一方、故 中井準之助 東京大学名誉教授(解剖学)が編集された "Morphology of Neuroglia (1963, Igaku Shoin)" では、"Neuroglia"の名称は1890年代より一貫して解剖学者の間で記述されていることが明記されている。この両名称は、用いる分野によって使い分けられてきているようである。従って、"Glioma"を論じる neuro-oncologistsは、"Glia"を使用するのが適切であろう。この観点からは、「神経膠腫」なる呼称は適切ではなく、居心地は悪いが「膠腫」が適切な用語になる。神経膠芽腫という呼び方もしばしば耳にするが、「膠芽腫」が適切な用語であり、脳神経外科学用語集でもGlioblastomaの和名は「膠芽腫」と定めてある。